7. 継承の瞬間、召喚
榮と佳那は人の居ない島の北側の海岸に向かった。
祠の方に近付くにつれ、榮は心なしか重くなる空気を感じた。
「榮…何だかキモチ悪い。何、コレ?!」
佳那もソレに気がついたらしい。
「これは『瘴気』だよ。間違いなく、奴はここに居る!」
榮は気持ちを立て直した。佳那は自分が守らなければならない。
「主殿、私に命じて下さい。いつでも貴方の力になりますから!」
「うん…」
――その時、明らかに空気が変わった。
「俺達は奴の領域の中に入っちまったようだぜ?」
水蛇が実体を持って現れる。禍禍しい黒ずんだオーラがその身を包んでいる。
「佳那ちゃん、結界を張って!」
「紺陽、お願い!」
「行きます…《青牢結界》!」
紺陽が指先で霊気の糸を紡ぎ、それで網の目上の広範囲の結界を張った。
「行くぜ!《破邪》!」
榮が間合いを取りつつ霊気をぶつける。水蛇はそれを巧みに避ける。
その繰り返しに榮は焦れた。
「やっぱ足止めは必要だよな…《霊鎖縛》!」
霊気の鎖で水蛇を縛る。
しかし、その鎖の隙間から液状化した水蛇が滑り落ち、また元の形を作る。
そして、口から酸のような瘴気を吐き出し、それは榮ではなく佳那を襲った!
「うわぁぁっ!」
佳那は思わず叫んだが、痛みも何もない。
勢いで閉じた目を開くと、紺陽が目の前に立ち塞がっていた。
「大丈夫ですか?主殿…」
痛みに歪みながらも笑みを見せる。佳那を安心させる為だ。
「紺陽!」
佳那は目を覆ってしまいたくなった。
色の白い紺陽の肌が酸によって灼かれ、赤黒い跡を作る。
「大丈夫です。貴方は私が守ります!」
榮は、佳那にこれ以上の術を使う精神力は無いと判断した。
やはり、一人で闘わなければならない。
「紺陽、佳那ちゃんは任せた!」
榮は、滅多に使わない『封印術』を使うつもりだった。
「天の星印、地の星印、それらを繋ぐ我が力、魔を挫く剣となりここに顕わさん!
その姿、封じの枷と変え、魔を捕らえよ!《封魔》!」
榮は星を二連、宙に描き、印を切る。
そして、霊力を込め、水蛇に放つ。
水蛇の身体を青い光が包み、その中で苦しみに荒れ狂う。
榮の精神力も限界に近かった。
榮の知っている術の中でも、最高レベルの難度を持つこの『封印術』は、
かなりの霊力を消費する。
対象が抵抗するだけ、術者の身体に負担がかかる。
「…くっそ〜!力が、力が足りない…このままじゃ…」
榮はチラリと佳那の方を見た。不安そうな瞳。
(負けられない…けど、これ以上、コイツを押さえる事なんて…
せめて、もう少し力があれば…)
不意に、榮の脳裏にある人物の顔がよぎった。
首を横に振る。それは出来るはずもなかった。
榮には、不可能な事だったから…。
(もう…限界、だ…)
水蛇を封じる枷が弾け飛ぶ。
凶悪な忌霊が榮に襲いかかる!
榮は恐怖に目をギュッと瞑った。
(怖い…俺、もう終わりなのかな…?そんなの…)
榮の心に走馬灯のように甦る皆の顔…。
(失いたくない!死にたくない!こんな所で…終わりたくない!!)
「――来い!ここに来い!来るんだ、『蒼軌』!!」
――瞬間、目の前に蒼い髪をした長身の男が現れた。
「――若様?!」
榮は泣きそうになった。蒼軌は状況をすぐさま判断したようだ。
「蒼軌、俺と一緒に闘ってくれ!」
榮の身体に新たな霊力が湧き上がったのが判る。
これで『忌霊・水蛇』と闘える。榮は、妙な自信も湧いてきた。
「行くぞ、蒼軌!《集雷針》!」
榮は蒼軌に命じると、自らも動く。
「《霊鎖縛》!」
水蛇を縛る。その瞬間に、蒼軌が針を打ち込む。
「…何で蒼軌がここに居るんや?」
ようやく到着した実行が目を見張る。
蒼軌は『式鬼』の長にあたる。
その蒼軌を扱えるのは『青家』の当主だけなのである。
現在、蒼軌の主は榮の祖父・流石のはずで、
血縁という理由では蒼軌が扱える訳がなかった。
「手伝え、蒼軌!裁きの雷、来れ雷神!《雷走破》!」
榮の発する言葉に呼応するように、空から雷が水蛇に向かって真っ直ぐに落ちた。
逃げ場もなく、その身を灼いた。
「後は任せろ!藍華!」
実行が水蛇に向かって霊気を注ぐ。
「《封魔氷結》!」
藍華がその霊気を封印の力に変え、凍りつかせるようにして水蛇を閉じ込めた。
それは、掌に転がせるほどの小さな石のようなモノに姿を変えた。
「これで良し!」
実行はそれを無造作にポケットに入れてしまった。
「詳しい事、訊きたいし…別荘の方に行こうか?」
実行は落ち着いて皆を促した。
別荘に戻ると、実行は、皆を一つの部屋に集めて、
他に誰も入れないように鍵を掛けた。
「それで、どういう事?どうしてこんな事が?」
「えと…それは、海岸に祠が…」
「――そうじゃなくて!どうやって蒼軌を呼び出したのかだよ?」
榮は言葉を飲み込む。
改めて言われると、自分でも信じられない事だった。
「蒼軌、お前はコイツに当主を継がせる気か?」
碧泉が蒼軌を一瞥する。
「いや…私の主殿はあくまでも流石殿だ。今回の件は、私にも説明がつかない…」
蒼軌は困ったような表情をした。
榮はそれを見て、少し悲しくなった。
「だけど、代替わりは必要だぜ?遅かれ早かれ、もう決めて良い頃だ。
俺がミユを選んだように…」
「その通りです。蒼軌は何を迷っているのですか?」
藍華も紺陽も蒼軌の煮え切らない態度に焦れた。
「若様はまだ幼すぎる!せめて成人するまで…でなければ当主は務まらない。
私の決定は『青家』を左右するんだぞ?慎重にもなる…まして…」
蒼軌は言葉を飲み込んだ。
これ以上、榮を拒否する言葉を言いたくなかったのだ。
結局、蒼軌は榮から逃げた。
流石が《召喚術》を使って蒼軌を呼んだからだ。
その事が、蒼軌が『使役権』を流石から榮に引き渡していない事を物語っていた。
「蒼軌…そんなに俺がイヤなのかな?俺じゃ、蒼軌の主にはなれないのかな?」
榮は落ち込んでしまった。
実行はそれを見て、優しく頭を撫でてやる。
「蒼軌は、間違えなくお前を選ぶ。
今の主である流石じいちゃんほったらかしてまで、お前の所に来るっていうのは、
お前が大事やからや。そうやなかったら、蒼軌がこんなに慎重になる筈ない!」
「本当に?」
「多分、あ…絶対!」
碧泉はイヤそうな表情で、
「お前に従うのは、まだ先の話になりそうで…本当に、良かったよ?」
と、憎まれ口を叩く。これが彼なりの励ましなのだろう。
「私は、榮さんで構いませんよ?」
紺陽が笑顔で言う。
「まぁ…お前に期待はしないでいてやる。精進しろ!」
藍華が艶やかに笑う。
「私、榮くんは『当主』になれると思う…皆、榮くんの事が好きみたいだし…」
巽の言葉に、榮は嬉しくなった。
すると、紺陽は顔を真っ赤にしているし、碧泉の姿はなくなり、
藍華の顔は何だか照れくさそうだ。
実は、榮は『式鬼』に好かれる性質をしているのだ。
今まで、それに気づいていなかったのは本人だけなのだった。
でも、少しだけ自信がついた。榮は、晴れ晴れとした表情で宣言した。
「うん、俺…『当主』になる!」